過ぎ去りし麗しき日々は再び我の元に返り来たらず

やってくるこの毎日が人生だと知っていたら

インサイド・ヘッド

f:id:Nakid-Jaguar:20150721112647j:plain:h200:left 11歳の女の子"ライリー"の頭の中にある"司令室"には"ヨロコビ"、"イカリ"、"ムカムカ"、"ビビリ"、"カナシミ"の5つの感情がいる。リーダーのヨロコビを中心に、いつもライリーが幸せでいられるようにとそれぞれに大事な役割を持ち奮闘していたが、カナシミの役割だけは本人すら分からなかった。

 ある日、父の仕事の都合で住み慣れたミネソタからサンフランシスコに引っ越しすることになったライリー。親友との別れや環境の変化に戸惑い心が不安定になってしまう。

 更に、ふとしたトラブルでヨロコビとカナシミが司令室から吸い出されてしまい、ライリーは残った感情だけではまともな日常生活を送ることができず、学校でも家庭でも孤立してしまう・・・。

 実の弟と映画館で鉢合わせるという気まずい感じの中鑑賞。

 11歳の子どもの成長を5つの感情を通して見せてくれます。なるほど脳の中身はこんな感じなのだな、と大変勉強になる映画でもあります。



 記憶が玉で表現されています。各感情の色の玉が毎日たくさん生み出されて、寝るとそれらの大半は格納庫に飛んでいくんだけど、中でも本当に大切な記憶だけは司令塔に保管されていて、人格を形成する島が作られているのです。

 家族の記憶から「家族島」、幼なじみとの記憶から「友情島」など。それがあるから人間は生きていけるんですね。ライリーは11歳だから島はまだ少ないけど、大人になるにつれて島はどんどん増えていくようです。「恋人島」だったり「アイドル島」だったり。たぶん俺の脳内にはでっかい「クラクラ島」があるんだろう。

 ヨロコビは大切な記憶は喜びの黄色い玉だけでいいと思ってて、カナシミがたまに触るとその記憶が悲しい記憶に変わっちゃうんで絶対に触らせない。

 でもそれは違うんだよと。悲しい時に悲しいと泣くことで、自分を愛してくれる家族や友人たちがそばに来て励ましたり一緒に泣いてくれたり。そういう経験が人を幸せにしてくれるってことに最後に気づくんですね。

 まず単純にライリーの成長に泣けるし、脳内でライリーを助けようといろんな器官がドタバタしてる感じや"イマジナリーフレンド"の"ビンボン"がまたいいのよコレ。

 ここ最近はスカッとするようなアクションばっか観てたんですけど、久々に映画館で泣いてしまいました。後ろに弟がいるのに。

 映画の冒頭ドリカムが歌う日本版の主題歌。そこに子供の泣き顔だったり、家族みんなで笑ってる顔だったり、結婚式の写真だったりが次々と差し込まれるんですが。

 これが非常に気持ちが悪い。ホント余計なことすんじゃねぇって話ですよ。誰が赤の他人のきったねぇガキの面なんか見てぇかっつーの。まだ子どもならちょっとは我慢できるけどカップルの写真とかはもうゴミ以下でしょ。

 映画の最初だったから映画とは別物と考えられたけど、これエンディングで流れたら終わってましたね。なんでいきなり主題歌が冒頭に?と最初はポカンだったが、さすがにそれは映画の感動が台無しになっちゃうとわかってんだろうか?

 俺の脳内ではカナシミとイカリとムカムカが感情ボタンを連打してましたね。